Re:M*H
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A6 / 148P / 2009-2011までに発行した西英再録。 「儘ならぬ」 「まるでお伽噺のように」 「とある時代、とある二人のお話。」 「幼かった、あの頃。」 「悪魔は左耳から囁く」 「薬指の約束」 「雨音」
「儘ならぬ」(一部抜粋)
目の前に立つ男の瞳に宿る感情を読み取り、私は堪らない気持ちになる。しかし、だからといってどうすることも出来ない。あまりにも無力な自分という存在に、ずんと重たい鉛が心にのしかかるようだ。 飛んできた矢を近くにいた兵がはらう。まわりの世界はやたらと騒がしい。だが、いつ静寂の世界に貶められるか分かったものではない。けれど私には奇妙な安心感があった。それはきっと私の存在たる故だろう。今はその時ではない。きっと然るべき時に、それはくる。何年後か、何十年後か、それは分からない。もしかしたら永遠に訪れないかもしれない。だが、とにかくその時が来れば必ず分かる。そんな根拠のない自信が私にはあった。 世界から切り取られたような疎外感を感じる。今この時、私と彼で世界を構築している。同じ存在としての繋がり。同じ時を生きる概念。他の存在は、間に入ることも許さない。 目の前の存在が愛しくて堪らない。制御しきれない劣情を持て余している。それなのに、私たちは自分の意思で動くことすら儘ならない。共同体という概念に、縛り付けられている。瞳はあまりにも雄弁に語るのに、彼は決してそれを認めようとはしなかった。そんなすがるような目をするくせに、それは無いだろう。そんなに苦しそうに顔を歪めるのならば、認めてしまえ。認めてくれ。
「とある時代、とある二人の話。」
『少し、お話をいたしませんか? いえ、御面倒ならば良いのです。 わたくしがただ語りたいだけのこと。 そう長いお話ではございません。 少し、ほんの少しの間だけ。どうかお耳を傾けてはくださいませんでしょうか? それは不器用な男たちのロマンス、と言っては大袈裟かもしれません。 そしてきっと、そう甘く優しいものでも無かったようにも思います。 陸で、海で、そして空で。男たちは争い、傷つけあい、そして愛しあっておりました。 傍から見れば、それは決して愛の行為には見えなかったかもしれせん。 けれど、彼らは不器用なりに、愛しあう術を探していたのでございます。 この本をご覧くださいまし。 どうぞ、そんなに怯えにならないで。 いくら古めかしい本だからと言って、魔物は出て参りませんし、呪いなどかけられようはずもございません。 ご覧いただきたいのはこちらの島でございます。 サン・ファン・デ・ウルーア。 ここで、二人の男は戦っていたことからお話を始めましょう。 時は16世紀も半ばを過ぎた頃でございます……』 *** つぶ。 ず、ずぶ、ずずず……。 皮膚が割け、肉を貫く感覚が柄を通じて伝わってくる。 「んっ…。く、ぅ……」 男の呻き声が、頭上から鼓膜を震わせる。 ……濡れている。 男の体内を巡る血が、刃を濡らす。内部に入った刃は、男の体から熱を奪っていく。 「……こんなんじゃ……殺せへんよ」 もとより殺せぬことなど、イギリス自身が一番よく分かっている。男もそのことを知っていて、先のような言葉を発するのだ。それも気味の悪い笑顔を浮かべながら。穏やかな、静かな微笑。不気味で仕方がない。 ただ肉体的な苦痛にその眉根は顰められ、唇から洩れる吐息は掠れていた。僅かに熱を帯びたその空気の振動に、イギリスも知らず唇から溜息が零れ落ちた。満ち足りたような微笑を浮かべ、眉根を寄せる。まるで情事の際のような表情や空気に、正直なところイギリスは欲情しそうになっていた。 触れたい。 刃はそのままに、男の胸へと指先を伸ばした。布越しの「それ」は、どくどくと脈うち、触れられた男は傷に響いたのか小さく呻いた。己と男を隔てる布が煩わしくて、胸元の布を引き裂いた。 「く、ぁっ……」 男が啼いた。左胸に掌をぴたりとあてる。ゆっくりと瞼を閉じた。そうすると、緑の瞳は隠され、蜂蜜のような甘い金色に輝く両の睫毛だけが微かに揺れる。淡く色づいた唇は、まっすぐに引き締められており、その様はまるで誓いを立てているかのようだった。 そっと刃に触れた。
「雨音」(一部抜粋)
スペインは雨の中を一人で歩いていた。バルセロナの街中だというのに、誰もいない。世界遺産に押し掛ける観光客も、公園で嫌というほど見かける鳥たちも、我が物顔で路地裏を闊歩する猫たちすら見かけることがない。サグラダ・ファミリアを通り過ぎ、スペインはただただ通り沿いに歩く。そういえば何も食べていないのではないかと思い、目に入ったバルに入るがやはり誰もいない。そろそろ足も疲れてきた。そう思った頃に、地下鉄の駅が見えたので中へと降りた。切符を買い、改札を通る。オレンジ色の四号線に乗る。 特に行き先を決めていたわけではなかった。地下鉄にも人はいない。だが地下鉄は動いている。畳んだ傘からは雫が零れ、小さな水たまりを作っていた。三駅目のウルキナオナ駅で降りる。地上に出ると、まだ雨が降っていた。 傘をさし、ゴシック地区方面へと向かう。当てもなく歩き回っていると、狭い路地の中に佇むカタルーニャ音楽堂へと着いた。向かいの古本屋は、雨だと言うのに、木箱の中に本を入れ、外に出したままだ。本に水がしみ込んでいる。店先に出ている本の一冊を手に取る。水をたっぷり含んだ本を開くと、インクが滲んでいた。その本を持ったまま、振り返る。 ガウディと並び賞賛される建築家モンタネールの作品であるカタルーニャ音楽堂は、その色彩豊かなモザイク画やステンドグラスで知られている。普段ならば、多くの観光客が絢爛なその姿を見ているところだ。正面のモザイク画を仰ぎ見る。色鮮やかなモザイクに雫が伝い、外観を彩る柱に施された薔薇の彫刻も、その身を濡らしていた。傘の下から見ても、ここは美しい。スペインは吐息を零した。室内から見る、雨の伝うステンドグラスも、さぞや美しいことだろう。 雨に紛れ込んで、赤い何かが降ってきた。スペインの足元にぽとりと落ちた。赤い薔薇。まるでそれは、彫刻の中から飛び出してきたかのようだった。 拾いあげると、はらはらと散ってしまった。